木戸番のエッセイ・天職先は大衆演劇!第10回寿かなた前編
Ⅰ
寿かなたは、本名を「坂口 恵(仮)」という。 恵は、平成2年4月17日に兵庫県三田市に生まれている。現在、31歳である。 地元の小学校を卒業し最寄りの中学校に入ったが、3年生の時に彼女にとんでもない変化が起きる。
当時、彼女の母親はある施設でヘルパーをしていた。 母親は施設の入居者を、新開地の劇場に連れていき、そこで大衆演劇の観劇をするというイベントを計画していた。 当日、中3の恵がボランティアで、母親の手伝いをしたのである。
恵自身も劇場で初めて大衆演劇を見ることになるが、そこでは「伍代孝雄劇団」の公演が行われていた。 座長は伍代孝雄である。この座長が恵の人生を大きく変えてしまうことなど、恵自身知るよしもない。
舞踊ショーが始まる。 いくつかの踊りの後、華やかな「出し物」が続く。5人の役者が躍る「五人花魁」に、恵の心が強く動いた。 確かに、感受性の強い年代でもあるし、恵の性格も手伝って、大胆にもその劇団に入団を決意する。
しかし、劇団は、本人にまずは高校に行くことを薦める。 でも、恵は「芸事は、早く始めた方がいい」と信じていたので、高校への進学はやめ 中学を卒業すると劇団に入った。
Ⅱ
入団は果たしたけれど、何も知らないし、何もできない。不安でいっぱいになる。
先輩の指示で、下働きがはじまる。
先輩方の化粧前の整理や着物、帯、履物の準備など、新人の仕事は多岐にわたる。 しかし半年もすると、今度は自分自身の準備にかかる。
大衆演劇の女優の修行は、着物、化粧、かつらと続く。 1年の修行の終わりが見えてくると、座長から芸名をもらう。 恵は、晴れて「花園あつみ」となって、本格的に女優としての仕事をする。 つまり、舞台で芝居をし、踊るのである。
「花園あつみ」が女優としてデビューした「伍代劇団」は、伝統的な笑って泣いての 人情芝居と群舞舞踊など華麗な舞踊ショーを得意とする劇団であった。
花園あつみは最年少だったので、団員全員の周りのお世話をしながら、一生懸命に 芝居に舞踊ショーに取り組んでいた。
筆者は、彼女に聞いてみた。当時の演目で、印象的なものは・・。
「いまだに鮮明に覚えているのが、デビューの芝居の『三枚目の茶店の娘』と、個人舞踊は、座長に稽古をつけてもらった『博多の宿』です。懐かしい表情を浮かべると……、彼女は静かに視線を宙でむすんだ。
入団してからの1年目は修行期間であったが、2年目に入った頃には、花園あつみも女優としての自覚も出て、ますます精進を重ね、芸のなかにゆとりと余裕もでてきた。
しかし、逆に、えも言えぬ不安があった。 今までも芝居のスランプ、踊りのスランプは数々あった。そのたびに先輩たちのアドバイスもあって、なんとか乗り越えてきた。
でも、今回はだだのスランプではない。彼女自身、それはわかっていた。 芝居をしていても、踊っていても、楽しくない。 生活をしていても、気力がわかない。 このままでは劇団内の人間関係にも影響が及びそうだ。
ある時、舞台に向かおうとするが、足が動かない。 ついには舞台が怖くなってしまった。
「花園あつみ」は「伍代劇団」を去った。
本人は「芸の難しさ、厳しさから自分は逃げたのです」と当時を振り返って自戒する。