劇団花車密着取材!姫京之助・二代目姫京之助インタビュー
GOD姫京之助
インタビュー
こんな時期だからこそ、より華やかなものをお見せしたい
祝!芸道生活50周年
50周年おめでとうございます。記念公演も大変盛り上がったとのことで、何よりです。お芝居では「国定忠治」を演じられたそうですね。
僕は今まで国定忠治はあんまり演ってなかったんです。市川市次郎さん(三枡屋大夫元)のを観せてていただいた時、自分でもやってみようかなあと、市二郎さんにお願いして立てていただきました。
どんなお芝居だったのでしょうか。
これから赤城山を目指すところのお芝居です。
劇団ではたくさんお芝居のレパートリーをお持ちと思いますが、ご自身ではどんなお芝居が花車らしいと思われますか。
僕自身が好きなのは世話物ですね。あとは藤山寛美先生のお芝居。泣かせるものも好きですけど、今の時代は笑いのお芝居が7割くらいでしょうか。
お芝居の本数は?
どれくらいかなあ。昔やっていて今していないものも入れたら二百くらいでしょうか。普段しているのは百本くらいでしょうね。
常に前へ!
50年の節目を越えられ、次は60年、70年に向かって進まれる中で、どんなイメージを持って臨まれていますか?
自分もそうですが、うちの子たちがこの世界で生きていかないといけないですから、ひたすら前へ前へ、ですね。後ろを向いても何も落ちてないから、次の扉を開けんとね。扉が開かなかったら、ノックしてノックして、とにかく開けていかなないとね。それが役者の身上で、僕らの仕事は進歩以外はないですね。
ゴッドは多くの方から憧れられておられますが、ご自身にとって憧れの存在は?
藤山寛美先生ですね。あと、亡くなった中村勘三郎さん、長谷川一夫さんも好きでしたね。映画では、吉永小百合さんや高倉健さんのように映画にしか出ない役者さんをすごいなあと思いますね。
何かに貫いているような方々ですね
そう、貫く。チャラチャラせんと貫かないとね。この世界も、昔の方がよっぽどキツかったです。休みもなく、夜劇場に乗り込んで朝から舞台で、10日で入れ替わりとかですから。それを思えばキツいなんて言えないでしょう。
何があってもやることは同じ
さまざまな舞台をふまれていますが、軸は大衆演劇で。
はい、大衆演劇が好きですね。大衆演劇で生まれ育ちましたので。
これからも大衆演劇で…
頑張ります!(力強く)
舞踊ショーでは群舞も常に一緒に出られるのは、ご自身に課しているものがあるのでしょうか。
特にないんですけど、まあ誰にでも合わせられると思うからかなあ。課しているもので言えば、褒めて伸びる子には思いき入り褒めてあげたいということですね。
大衆演劇でストレス解消していただく
ありがとうございます!最後に、まだまだコロナで不安な時期が続きますが、そんな中で自分達で鼓舞するためにどのようにされていますか
僕らの舞台はね、コロナが出ようと全然変えられないんですよ。コロナの時期だからって地味にすることもないし、逆にもっと明るくして、続けなければならない。何があってもやることは本当に同じだし、やめられない。
お金かけすぎじゃないのって言われる方もいらっしゃいますが、こんな時期だからこそお金をかけて華やかなものを観ていただきたいし、(舞台の質を)落とせないですよ。
大衆演劇はお客さまにとってストレスを解消していただく場所ですから、僕らはストレスが~とか言うちゃならん。そう思って毎日舞台に立ってます!
座長 二代目姫京之助インタビュー
みんなの役に立てるように!
2022年10月 二代目姫京之助襲名
この度は二代目姫京之助と座長襲名誠におめでとうございます。襲名後、変わったことはありますか
より劇団全体のことを考えるようになったかもしれないですね。自分がこうした方がみんながもっとやりやすいのかなあとか、考えるようになりました。
襲名のお話はいつから?
子供の頃からゴッドから「お前が継げよ」と言ってもらっていて、それは僕自身の夢でもありました。正式に襲名の話が出たのは17歳くらいの時で、その時は「まだ早いです」とお断りをして。
次に言われたのが、20歳前後です。その時もまだ無理ですと断り、3回目が今から3~4年前くらいです。大分のデパートで一緒にご飯を食べている時に、母が買い物に行き、ゴッドと2人になって、空気が変わって…ゴッドから「継いでくれないか」と。そこで初めて「継がせていただきます」とお返事しました。
それから2022年9月にようやく襲名のお披露目となったのですね
はい。母からも夢だったと言われました。親の夢を叶えるというと大袈裟かもしれませんけど、少しでもお客様にも家族にも喜んでもらえたら嬉しいです。
救いがある物語にしたい
今日のお芝居は初役だったそうですね
はい。以前、母が演っていた役です。母のイメージを頭に置きつつ、自分なりのお蔦を演じられるよう、大切にしていきたい役の1つになりました。
勘九郎座長から二代目がお芝居を作られると伺いました。
そうなんです。大衆演劇ぽいものから、劇団☆新感線さんのようなテイストのお芝居も作ったりしてます。一から作ることもありますし、これまで劇団で演っていたお芝居でも内容をほぼほぼ変えるようにしています。同じタイトルでも『あれ?他と違うな』って思ってもらえるのがいいので。
最近ではどんな作品を?
僕の祭りでやった『阿部定』です。色々詳しく調べて、一から作りました。これまで舞台や映画で『阿部定』を演る時って、グロテスクな表現がありますよね。僕はあれがいやで。そうではなくて、もっときれいに、幻想的にやりたいなって思っていました。
僕が作る場合、どん底に落ちても、最後に救いがあって終わるものが多いですね。本当にあったどんな不幸な話でも、それだけではないはずで、少しでも幸せなことや救いが物語に含まれるように…僕がそう願っているからかもしれません。
活躍の幅を広げたい
これからますます活躍の場が広がると思うのですが、どんな目標をお持ちですか?
今、外部公演のお誘いや、プロダクションに入らないかとか、テレビのお話など、お声をかけていただいています。もう少し落ち着いてきたら、挑戦して、幅を広げていきたいと思っています。
外の世界に出ることで、より多くの方に知っていただけますね!
そうですよね。うちだけじゃなくて大衆演劇全体を知っていただけるよう、ちょっとでもお役に立てればと思ってます!
取材メモ
今年9月に姫右近花形が二代目姫京之助襲名と同時に座長に就任。11月はGOD姫京之助芸道50周年の記念公演があり、姫海老之助さんが劇団を出て新たな道に向かうという、劇団として大きな転機が続く中での取材でした。
「海老之助がいつでも帰って来れるようにしておきたい。甘い親だと思われるかも知れませんが…」と錦之助座長。寂しさを噛み締めながらも我が子の夢を応援してやりたい親心に、お客様も拍手で応えておられました。
「どんな大変な時でもやることは変わらない」
インタビューで語ってくださったGODの言葉に、旗揚げ40年の劇団の強さと重みを垣間見た思いでした。
劇団情報
劇団花車
九州大衆演劇界の人気役者・初代姫川竜之助の長男である姫京之助が、 初代藤ひろしや藤山寛美のもとで腕を磨き、昭和58年(1983)に旗揚げ。 平成19年(2007)に長男の姫錦之助、平成28年(2016)に三男の姫勘九郎が座長襲名。 唯一無二の個性で観客を魅了し、様々な感性が飛び出す玉手箱のような劇団である。