KANGEKI2022年11月号Vol.73

舞台裏の匠たち第6回難波の舞台化粧品専門店「美壽屋」(2/6)

取材日:2022年8月
舞台裏の匠たち 第6回 難波の舞台化粧品専門店「美壽屋」(2/6)

昭和の初めは小間物屋

 

お店のホームページを拝見すると、昭和2年(1927年)創業と、大変な老舗です。

前田

細く長くやっていていまして、僕で三代目になります。

 

初めから舞台化粧品専門店としてスタートしたのでしょうか。

前田

いえ、昭和の初めは普通の化粧品屋でした。というか、その頃は一般の女性でまだ日本髪を結っている人もたくさんいたし、鬢付け油を使う人もいました。そういう人に使っていただく小間物屋でした。

その後、この近くに劇場が色々できたんですよ。そこで劇場の役者さん向けに、舞台用の化粧品を置くようになりました。

 

難波の町にあった劇場というと、たとえば?

前田

一番近かったのは『大阪劇場』。大劇(だいげき)と呼ばれていました。イメージ的には浅草の国際劇場みたいな感じです。美空ひばりショーとか、レビューとかをやっていました。もう、無くなりました。

それから難波に新歌舞伎座もあったんですけど、上本町へ移転しました。(編集部注:大阪劇場閉館は昭和42年、新歌舞伎移転は平成21年) かつては、道頓堀の川沿いにも劇場がいっぱいありました。

昭和50年ぐらいのことです。賑わっていましたね。そこで僕の父の代から、舞台化粧品を扱い始めたんです。

 

近隣の劇場の役者さんから、店に化粧品を置いてほしいとリクエストされて?

前田

そういうことです。役者さんがお店に来てくれたり、こちらが楽屋へ持って行ったり。こんな商品はありませんかと聞かれて、それを揃えていくうちに、段々と舞台化粧品に特化していきました。

今はもう舞台化粧品、舞台用のかんざしや扇子を専門でやっています。大衆演劇のお客様が多いですが、歌舞伎のお客様、宝塚のお客様も来られます。

化粧品と並んで、かんざしと扇子もお店の大きな柱
 

前田さんの代になられてからは、どれくらいになるのでしょう。

前田

僕が経営者になったのは50歳ぐらいですね。今、67歳なので、17年になります。27歳のときには社会勉強のために、東京・大塚のかんざし問屋で、給料をもらいながら修行させてもらっていたこともあります。その頃から実家を継ぐことは決めていました。

 

お父様から引き継いだ、お店のモットーはありますでしょうか。

前田

父にはあんまり細かいことは言われませんでしたが、とりあえずお店を続けていくこと(笑)。でも、自分自身、そう思っていますね。10年前にこの店、建てかえたんですよ。老朽化していたんでね。

できれば僕の息子がこの店を続けてくれて、ずっと続いていくようにと思っています。

店の一角には鬘が。前田さんのお父様の時代には鬘も扱っていたためだそう。今も関西の鬘屋さんや床山さんとは繋がりがあります

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