筑紫桃太郎一座花の三兄弟座長インタビュー
視点を変えて楽しくアレンジするところが三兄弟らしさかな?
今日はカンゲキツアーということで、終演後もお時間いただき本当にありがとうございました!まずは今日のお芝居についてお聞かせくださいますか。
これは九州のお芝居で、もともとは違うんですが、最後にどんでん返しがあるように演じてます。先輩座長さんからこういうやり方もあるよって教えてもらって、ずっとこの筋書きでやってますね。
そこがとても面白かったです。
ありがとうございます。僕も最後にみんなでハッピーエンドに持っていくところが好きですね。
配役もすごくハマってますよね
そうですね。やりやすいですね(笑)。
今日の参加者プレゼントにいただいたDVDに収録されている「甚太郎日記」も楽しいお芝居ですが、こちらも二枚目の主人公を三枚目に変えたものですよね。そんなふうに視点を変えるところが、花の三兄弟らしさの1つかなと思いました。
うちの父(筑豊國太郎)がそういうのが好きだったんです。二枚目の主役を三枚目にしたり。だから僕たちもその影響を受けてるのかなって思います。
質問コーナーではお芝居談義に花が咲いていましたが、一番新しいお芝居のタイトルを教えていただけますか。
8月に博多家の誕生日でやったお芝居『新月の闇』で、市川英儒座長(優伎座)に教えていただいたのが、最新作ですね。
お子さん方もどんどんお芝居に出られるようになりました。
今は中学生とかなんで、まだまだこれからですね。卒業してから本腰入れてやるかどうかっていう、僕もそんなタイプだったので。今は本人たちもやる気はあるみたいです(笑)。
舞台道具散財は大衆演劇あるある?!
ラスト舞踊の「助六江戸桜」についてお聞かせください。これも三兄弟の持ち味の配役になっていると思いますが、最初からこの配役だったのでしょうか。
そうです。父と仲が良かった市川市二郎さん(三桝屋)から教えていただきました。
この舞踊のためだけに衣装や鬘を揃えておられるのですね。
はい、全部父が揃えてくれたものです。
もともとこのショーは九州の座長大会でやっていたもので、たまたまうちが下座だったので、今度うちでもやろうって言って、その時の座長大会での父の祝儀は全部、僕たちの衣装に消えてたって言ってましたね(笑)。
少しでもいい舞台にしようと採算度外視でお金をかけてしまう、大衆演劇あるあるですね…
ほんと、馬鹿じゃないとこの仕事は出来ないと思いますね~(笑)
みなさん舞台道具を揃えたいという思いは
ありますあります。そのためにお金貯めて作って、お客様に良かったと言ってもらえたら、それで報われる感じですね。
最近の大きな買い物をお聞きしても良いですか。
みんな個人では色々買ってますが、コロナになってからはあまり出来てなかったですね。ただ今度、音響一式を全部買い換えるんですよ。来年から規則がかわって、電波を出すものは全て変えないといけないんで、だから今以上に音響設備はよくなると思います。
なるほど、では観劇の時は音にも注目(注耳?)ですね。最後に11月以降の予定をお聞かせください。
11月と12月は大阪の明生座で2ヶ月公演です。1カ所で2ヶ月ありますので、じっくり考えていろんなことをやろうと思っていますので、お時間合いましたらぜひお越しください!
プロフィール
筑紫桃太郎一座 花の三兄弟座長筑紫桃之助
誕生日 | 6月24日 |
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出身地 | 福岡県 |
身長 | 180cm |
体重 | 80kg |
足 | 26.5cm |
血液型 | B型 |
初舞台の年齢 | 0歳 |
きっかけ | 親が役者だったから |
好きな食べ物 | 麺類 |
嫌いな食べ物 | なし |
好きな色 | 紫、白 |
香水 | ニナリッチ:イエロー |
趣味 | ショッピング |
劇団情報
筑紫桃太郎一座 花の三兄弟
昭和42(1967)年、当時4歳の筑紫桃太郎(前頭取・筑豊國太郎)を座長に「歌丸劇団」として海田温泉(広島県)で旗揚げした。その後、北海道を中心に巡業するが、平成2(1990)年に地元の九州へと戻り、「筑紫桃太郎一座」として公演を始める。時代人情劇を中心とした芝居、ショー、口上など、すべてにおいて徹底した分かりやすさと親しみやすさが特徴。三兄弟である筑紫桃之助、博多家桃太郎、玄海花道が座長・弟座長・花形となり一座の顔となっている。